わたしは「平野紫耀」を知らない
あらゆる呪縛から解き放たれ、紫耀くんは人間になった。
もともと紫耀くんが人間だなんてことはもちろん当たり前なんだけど、泥臭くて人間味のある「ヒト」になった、という意味で。
今日は少しだけ、そんな紫耀くんとわたしの、それからのお話をしたいと思う。
わたしが紫耀くんの生まれ変わる速度についていけなくなったのは、2018年の年末頃からだった。ちょうど映画「ういらぶ。」の公開や1st Concert DVDの発売に先駆けて、番宣のためあらゆるバラエティー番組に出演していた時期のこと。
バラエティー番組に出演する度に、密着ドキュメンタリー番組が放映される度に。わたしは知らない紫耀くんの姿をたくさん目の当たりにした。
本来、喜ぶべきことのはずだった。
今まで彼が見せることのなかった新たな一面を知ることの愉しさ、裏側での出来事を目の当たりにしたときの高揚。何となく想像していた姿よりも、より濃く色を帯びた映像の数々に、「ああ、これでこそ平野紫耀だよ!」と感嘆し、さらに紫耀くんへの造詣を深めることもたくさんあった。
でも、それ以上に。
その類の番組を観終えた後のわたしの心の大部分を占めていたのは、虚無感だった。
愚かなことに、その頃のわたしは少しだけなら他の人よりも彼のことが「わかる」と勘違いしていたのだ。初めから近い距離にいたわけでもないのに、そんなこと百も承知だったはずなのに、なぜかものすごくショックを受けた。
彼が今ほどの注目を浴びる前から、彼の言葉を聞いてきたし、彼の姿や表情を見てきた。確かにそれは紛れもない事実であり、もちろん虚像なんかでもないはずだった。目の前で起こっていた出来事の積み重ねであり、その当時に彼自身が私たちに見せようとしてくれていた、彼なりのありのままの姿であるはずだった。
紫耀くんは嘘が嫌いだ。
上手に言葉を選び、誰も傷つかないように大人の事情に合わせて提供できる情報を調節することはあっても、決して自分を取り繕うために嘘をつく人ではなかった。何より、自分を色眼鏡を通して見られることをひどく嫌う人だったから。
なのにわたしは、自分が無知であることを忘れ、いつの間にか、過ぎた年月と知り得る限りの過去の思い出に溺れて驕ってしまっていた。
あれだけたくさんのテキストを覚えるくらいまで何度も読んでいたって、雑誌の定番インタビューの質問に対する答えがだいたい予測できるようになったって。紫耀くんのビジュアルが素晴らしいことが当たり前だと感じるくらい彼のことをみていたって、同じ空間で同じ時を過ごしていたって。
ファンはどこまでいったってファンでしかないし、その距離が縮まることも、優劣がつくこともないというのに、どこかでわたしは「変わらない紫耀くんを知っていること」に甘えてしまっていた。
悲しいというより、虚しかったのだ。
紫耀くんが別の人格に変化してしまったわけではない。平野紫耀という人間の本質が、何も変わってないことがわかっているからこそ、「知らない姿をみる」ということがただ怖かった。どうしたらいいか分からなかった。見たことない表情をして、耳にしたことのないエピソードを淡々と話す紫耀くんをみて、これはわたしの知っている平野紫耀なのかわからなくなった。もしかしたらこれは紫耀くんによく似たアンドロイドなのかもしれないとも思った。
「知らないことが怖かった」
それがあの真っ暗闇の時代を生きる紫耀くんを必死で追いかけていた、いちばんの要因なのだと思う。
はじめよりもその背中はずっと逞しく、広くなっていたはずなのに、少しでも目を離せばどこかへ消えてしまいそうだったから。どんなインタビューでも、本音と建前をうまく使って実像を捉えられまいとする紫耀くんのパズルのピースを少しずつ拾って、答え合わせをするのが好きだった。
己の論理によって、与えられた言葉の行間を読み解くことは、決して悪いことではないと思う。ただ、それは正解ではない。真実でもなければ、ものごとの真理でもない。あくまでそれは個人の中に作られた虚像に過ぎない。
しかし、わたしは自分自身の中にあまりにも完璧すぎる「平野紫耀の虚像」を作ってしまったために、紫耀くんが新たに見せるようになった、彼のより人間らしい姿を取り込めなくなっていた。
いつのまにかわたしは、長い年月をかけて「平野紫耀という人間を知っている」というどうしようもなく大きな勘違いをしていた。すべて知り得るなんてこと、できるはずがないのに。
そのうち、今を生きる紫耀くんの中に、過去の面影ばかりを探してしまう自分に気づいた。変わらない部分を探して見つけては、安心した。そんな自分がとてつもなく嫌だった。常に今の紫耀くんを正面から見つめて、その先の未来のためにまっすぐ応援していける人たちが目に見えて増えていくごとに、焦燥感が増した。
まるで自分だけが取り残されているみたいで。過去を知っていることや、それに関することを発信していくことすら、これからの紫耀くんを見守っていく上で足枷になりはしないかと考えた。
苦しかった。
紫耀くんは何も悪くないのに、心がついていけなかった。勝手にあらゆるしがらみに飲み込まれて、歪んだ見方しかすることができなくなってしまった自分がとてつもなく、嫌いになった。
それからしばらくした頃、ジュニア時代から紫耀くんのことをたくさん記録していたアカウントを消した。
本当に、ふと思った時の勢いまま「もういいや」と思ったのだ。別にわたしがいなくたって、他にたくさん代わりがいると心の底から思ったから、だ。
ファンを辞めるつもりはなかったけど(すべてを捨て去って、なかったことにできるほどの勇気がなかっただけなのかもしれない)、あの頃の温度のまま、わたしは紫耀くんを応援し続けることに限界を感じていた。
本当は、紫耀くんがデビュー会見で岸くんの「慢心一筋!」に笑い崩れたあの瞬間から、紫耀くんを捉えるための世界の再構築をしなければいけなかったのだと思う。
わたしが知っている紫耀くんは。
壊れそうなほど淡く儚い光を放って、小さな鉄格子の檻の中で綺麗な四肢を折りたたんで、傷だらけになって血をだらだらと垂らしながらもなお微笑んでいた、あの彼は。
仲間という武器を手に入れて、優雅な羽を生やして、生まれ変わったのだ。そんな彼を過去の型紙に当てはめることができないことに、もっと早く気づくべきだった。
だってわたしは、何にも知らない。
知らないのに、いろんなことを知ってるみたいにして、過去を乗り越えたふりをしていた。
CMの契約が切れたらパツッと何もかもを捨てて、事務所を去ろうとしていたことも。
すべての責任を背負う覚悟で、社長にデビューの話を持ち込んだことも。
千穐楽の日に、救急車で運ばれるくらいギリギリの状態で舞台に立ち続けたことも。
嗚咽が止まらなくなるくらい、愛する人を想って涙を流せることも。
わたしは、こんなに長い時間彼のことを見ておきながら、そんな紫耀くんの姿を見たこともなければ知ることすらも許されなかったのかと思うと、どうしようもなく情けなかった。
後日談にしては重すぎる彼の過去の記憶たちを素直に受け止め切れずに、紫耀くんと少しだけ距離をとった。
本当に、しょうもない人間だと思う。
大したことないくせに、一丁前に責任感と義務感だけはある、実に厄介なファンだという自覚はある。正直なところ、わたしは今になっても、長年応援し続けているはずの紫耀くんとどう向き合っていいのか、正解を見つけられていない。こんなこと、こんなブログで話すことではないのかもしれないし、記念すべき誕生の日にお祝いする言葉でもないはずだけど。紫耀くんがいかに素晴らしい人なのかを発信する自信すらも、今はないけれど。
でも、わたしはこの1年で、「知らない」ということを「知る」ことができた。なんでもないことかもしれないけれど、こう考えることで全てが報われる気がするのだ。
それはきっとソクラテスでいうところの「無知の知」みたいなものなのかもしれない。なんだかもっともみたいなことを語ろうとしているけれど、結局のところ、わたしは何にも知らない。
アイドルグループを応援していれば、だれしもはぶつかる「新規と古株」みたいな話がある。おそらくわたしは、紫耀くんを応援する者としてわりかし「古株」に分類されるであろう人間だし、「新規についてどう感じるか」みたいなことも聞かれたりするけれど。
そんなわたしですら、何にも知らないのだ。神性と人性を併せ持つ紫耀くんのことを理解できる日は、いつになっても来るはずがない。そしておそらく、知る必要もない。
だって、紫耀くんは哲学だ。
彼の人間性を読みとく回路は、永久のラビリンスの中に影を潜めている。
誰も知らない。知らなくていい。
たぶんそれが、きっと正解だ。それぞれが思う紫耀くんの姿があって、それでいいのだと思う。
だからわたしは、
ただどうしようもなく愛しい彼の背中を少し遠くから見守るだけの。
彼のすべてを認め、理解し、肯定するだけの。
彼の幸せを願い、祈るだけの。
彼にとってちっぽけで、ささやかな存在になれればそれでいい。そんな風にしか愛すことのできないわたしを神様どうか、お許しください。
ただひとつ願うことは、
愛おしい彼がこの世界で、ありのままの姿で生きていくことだけだ。
紫耀くんの放つ眩い光はこれからも世の中を明るく照らすことだろうし、わたしは一つずつスターへの階段を着実に登っていくあなたを下界から見つめ、祈りながら。あなたを夜空の星の一つみたいにして、進んでいくための一つの目印みたいにして、これからの人生を、生きていく。
23歳になった平野紫耀くんへ。
ずっとありのままで、あなたの思うままに生きてください。そうすればきっと、世界のどこかの片隅にいる誰かが、救われるから。
あなたがわたしのことを知らないのと同じように、わたしはあなたのことを知らない。何を考えて何を望み、何を目指して生きているのかすらもわからないけれど、わたしは知っている。
あなたが馬鹿みたいに真っ直ぐで、照れ屋さんで、仲間想いで、頼もしい存在であることを。悲しいくらいに守りたがり屋さんなことを、わたしは知っている。
だからわたしは、あなたの思う「平野紫耀のありのまま」に騙され続けよう。
生まれてきてくれて、ありがとう。生きる意味でいてくれて、何もかもを許し、わたしの人生を肯定してくれる存在でいてくれてありがとう。
どんなに歳を重ねても、あなたの幸せを願い続けさせてね。ずっとずっと愛しています。