鎧のはなし

 

怒涛の雑誌ラッシュが続いている。

 

そんな中、先日発売されたばかりの女性誌で紫耀くんが興味深い言葉をこぼしていた。

‪平野「僕は健人くんみたいに自家発電するのが苦手で『よし、いくぞ!』みたいなスイッチがないんですよ。キラキラの"鎧"を常に身に纏い続けているのも健人くんのすごいところ。僕にはそれが重くてうまく着こなせない。いつでもどこでも『どーも、平野紫耀です!』365日鎧なし、私服のままなんです」‬(2020年5月号 MORE)

健人くんが纏っているあのキラキラオーラを、紫耀くんが「鎧」と評しているのをみてわたしはハッとした。

 

確かに、それは「鎧」だ。

いついかなる時も紳士であることを忘れない、常にあらゆる方向に気を配り、時には厳しい言葉を向けられても決してへこたれない。自分が自分であることを大切にして、いつも完璧にみられることを意識している。

 

わたしが健人くんに抱いているのは、そういう印象だ。いくつかのバラエティー番組に出演する姿をみていると、健人くんはそういう武装をして、自らや周りの大切な人を守ろうとしているような気さえする。

 

紫耀くんはまた別の誌面で、健人くんのその鎧を「ダイヤ」のようだとも言っている。世界一硬くて、唯一無二の輝きを放つ鉱石でできている健人くんの「鎧」は、確かに彼自身にしか作ることはできないだろうし、おそらく紫耀くんとは縁遠いものであるようにも思う。

 

そんな紫耀くんに対して、健人くんは。

‪中島「すでに自分らしい歩み方を知っている、ありのままの自分で勝負できている。自分を自分で作り上げてきたオレとしては、それが平野紫耀のすごいところだと思うけどね」(2020年5月号 MORE)‬

この2人のやりとりを初めて読んだとき、豆鉄砲を食った鳩のような気持ちだった。

俯瞰的にみた自分と、自分から見える相手の姿を純粋に比較して、その上で相手のことをここまで本音から褒め合う2人って、今までにいただろうか。建前で取り繕って、思ってもない言葉で褒めることなんて誰にでもできる。でも、この2人は相手のことをちゃんとみて、ちゃんとリスペクトして、そこから自らを顧みるための何かを学び得ようとしている。

お互いが確固たる「個」をもっているからこそ成し得る関係であり、己自身のことを誰よりも理解している2人だからこそ成り立つ会話だとも思った。

 

平野「俺、絶対にできないですもん。キラキラフレーズ言ってくださいって振られて言えたことないですもん。今まで一回も。」

中島「あ〜そう。言わなくてもいいってことだよ。言わなくても成立するくらいの充分な人。俺は言わないとここまで生き残れなかった人だから(笑)」

平野「いや〜なんだろうな、このフォローの仕方もキラキラしてますよね。すっごい…やっぱりナンバーワンですよ。」(2020年5月号 CanCam

 

正直言って、絶妙に噛み合っていない歯痒さ、みたいなものを感じる時もある。

紫耀くんは自分のことを褒められても、それを華麗にスルーしてしまう人だし、逆に健人くんはものすごく褒めたがり屋さんだ。健人くんが紫耀くんを喜ばせようとして言った言葉を、紫耀くんは華麗にスルーして「そんなことを言ってくれる健人くんがかっこいい」ってまた褒める。健人くんからしたら、たぶん俺のことを褒めて欲しくて言ったんじゃないよって感じなんだと思うんだけど。

 

そして健人くんは時々、紫耀くんをすこし「うらやましい」と思う感情もちらちらと覗かせている。わたしは健人くんのことを全くと言っていいほど充分に知らないけれど、健人くんの紫耀くんに対するそういう思いは、そうせざるを得なかった自分に対するコンプレックスみたいなものを感じさせる。

 

紫耀くんは、常にありのままでこの世界を生き抜いてきた。「365日鎧なし、私服のままなんです」なんて自身を評していたけれど、たしかに紫耀くんは「ありのまま」を大切にするひとだった。「嘘をつかない」はもちろんそうなんだけど、紫耀くんは昔から本当に変わらない。思考の糸口やその構造は少しずつ複雑なものに変化していっているけれど、基本的でいちばん大切にしているものは、絶対に揺らがない。

平野「ファンの方たちには"王子様"って言っていただけて、それはひとつのイメージかもしれないけれど、そもそも僕、アイドルってものがよくわかってないんです!アイドルだからキラキラしてなきゃいけないとも思わないし、アイドルだからいつもスマイルでいなきゃ、とも思わない。そんなの、別に無理しなくていいと思うんです、僕は。(中略)バラエティだったりインタビューの時なんかは、自然体でいたい。だって、その方がファンに寄り添えると思うから。」(2020年5月号 with)

人様に見られる仕事である以上、紫耀くんがいくらありのままを見せようとしても、それをコンテンツとして提供する側の意図に寄り添わないといけないし、私たちのもとに届く紫耀くんの姿はもちろん純度100%であるとは限らない。その上で、紫耀くんは限りなくわたしたちに寄り添おうとしてくれる。紫耀くんはそういう「ありのまま」を魅せる人だった。

 

ところで、この文章にでも出てくる「王子様」というフレーズ。世の中を席巻してきたジャニーズアイドルによく付随するこの手の言葉は、紫耀くんと健人くんを紹介するときの枕詞にも使われる。先日放送されたバラエティー番組でも「リアル王子様対決」と題した企画が行われたところだ。

紫耀くんが自分自身のことを「王子様」ではないと常に否定し続けていることは知っていたので、もちろんこれは健人くんにこそ似合う言葉だなと思っていたのだけれど。ネットで健人くんに関するファンの方のブログを探しているとき、こんな興味深い記事をみつけた。

 

中島健人は王子様キャラじゃない - 愛はジャスト 

 

この方の語る健人くん像を垣間見たとき、いろんなパズルのピースがはまって見えた気がした。

自分でも気付かないうちに「王子様」の概念を自然的に備えてしまったのが我らが中島健人なのです。ケンティー自ら「王子様に、俺はなる!」とどこぞの海賊王のように鼻息荒く「王子様」という財宝を捜しながら生きてきたのではなく、彼が美しいと感じること・善だと信じることを愚直に実践していった結果が、たまたま世間でいうところの「王子様」という概念と一致していたというだけの話なのです。

なるほど、確かに彼は「王子様キャラ」ではない、とわたしも思った。「キャラ」なんていう取り繕ってできるようなものではなく、健人くんの「王子様」という鎧はもう彼の身の一部となって、どれが鎧でどれが彼の本体なのかも分からないほど融合してしまっているのだと。

だからこそ健人くんは、並々ならぬ身体能力を持ち、天賦の才に恵まれながらも、謙虚で常にナチュラルであることを忘れない、武装せずとも強くいられる紫耀くんに対して一目置いているのだと、わたしはそう解釈した。

 

 

中島健人平野紫耀

初めは、絶対に混ざり合うことなんてない、個性の強すぎる2人の組み合わせは最適と言っていいのだろうかと不安に感じたりしたこともあったけれど。

2人の人間としての器の大きさとか、抱えている愛の強さだとか、背負わされるプレッシャーの重さとか。彼らは似ている。

だけど、やっぱり全然違う。まるで銀河系の異なる星に住んでいるそれぞれの国の「王」であり「神」のような存在である彼らの異文化交流は、未だに未知なる光に包まれたままだけれど。

 

そんな2人が素敵じゃないかと思えるようになった。

どんな道も正解だと思えてしまう、紫耀くんがどんな曲がり道やけもの道も正解にしてしまうから、やっぱりわたしは紫耀くんには敵わないなあ、と笑えてきてしまう。

 

中島「かわいい後輩、弟ではあるけれどちゃんと自立した、平野紫耀という一人前の存在でもあるから。かわいい弟と、お互い仕事をする男同士っていう二方面の見方ができるな。」(2020年5月号 月刊TVジョン)

 

バディであり、それぞれの国を持つ王であり、先輩と後輩であり、兄弟のようでもある2人。きっとこれから先、唯一無二の彼らなりの何者でもない関係を築いていくんだろうなと思う。そんな彼らを、わたしはこれからもそっと少し遠くから、見守り続けていきたい。