贖罪

 

悪夢のはじまりだと思った。

 

5年前のあの夏、タイムラインを占領する見慣れない横文字とネットニュースの見出しの数々に、さーっと血の気が引くのを感じた。

 

わたしは最初、彼らが大嫌いだった。

なにがライバルだ、なにが親友だ。君たちにはいるべき場所があるはずで、待っている仲間がいるはずで。ずっとずっと、いつか帰ってきてみんなで笑い合う日が来てくれると信じていたのに。それなのに、どうしてそんな顔して笑っていられるの。

 

彼らがあの夏に歌った曲は、デビュー曲かと思うくらいインパクトのある曲で、6人で歌っている姿もサマになっていて。頭の中に「デビュー」の文字がぽんと浮かんで、運命ってこんなに唐突に動き出すものなのか、と頭を鈍器で殴られたような感覚だった。予感はたしかにあったけれども、それでも。それまでとは比にならないほどの何らかの力を感じたし、わたしたちが声をあげたところでなにも変わらないんだろうと肩を落とした。今までのユニットって、それまで育ててきた絆ってなんだったんだろうって。

 

ひとりひとりが嫌いなわけじゃなかった。

その当時はよく知らなかった子も中にはいたけれど、それはそれとして心の底から嫌悪感をもったわけじゃなかった。いま思えば、たぶんただひたすら悔しかっただけだと思う。わたしたちの大切なものをとらないで、という悲痛な叫び。

ものすごくきらきらしていて、当たり前のようにみんなかっこよくて。わたしの見知っている仲間といる時の彼とは全然ちがってまるで別人みたいだとも思ったし、なんだかもっとずっと大人びて見えた。明るい茶色に染められた髪が、別の場所に馴染もうとしている彼を表しているみたいで、今までの彼とはちがうんだって境界線を張られているみたいでさみしかった。

 

結果として、そのままデビューをすることはなかったけれども、わたしは紫耀くんと距離をとった。

まだ思考も幼かったし好奇心も散漫だったから、逃げるのはとても簡単だった。別のグループを転々としながら応援して、アイドル誌の紫耀くんのページだけ読むようになった。少クラも紫耀くんのソロ曲だけを見た。

 

後にかつての仲間はその後の季節のことを「焼け野原」と称していたけど、まさにその通りだったと思う。「なにきん」を恋しく想う人はわたしの他にもたくさんいたけれど(そう呼ぶ人が増えたのはたぶんその頃からだったと記憶している)、だからといって彼らを批判したことは一度もない。でも、避けていたのは確かだった。寂しくなったときに思い出の小箱をひっそり開けて、戻らない時を想って泣いた。

 

それから1年ほど経って、わたしの人生において「青春時代の象徴」とも言える3人に巡り合った。ステージに立つ彼らを見て、わたしが知っていた時の紫耀くんとなにも変わらないことを肌身で感じた。それもまた、ものすごい衝撃でわたしの心を揺れ動かした。だって、髪色も体つきもうんと大人っぽくなっていたけど、MCで楽しそうに笑う姿がなにも変わってなかった。そんなのってずるい。好きにならずにはいられないじゃない、とずるずると沼に引き摺り込まれていったのを覚えている。

それでもあの頃はまだ未熟で、MCだってくちゃぐちゃで、意味わからないこともたくさん言ってた。だけどそんなの気にならないくらいに、めちゃくちゃな彼らがなんでか大好きになってしまった。一度、自分勝手に離れたはずなのに、紫耀くんにまた惹き寄せられていた。

 

その夏のあと、紫耀くんとかつての仲間たちが舞台で再び集った。まだ傷も癒えきれていないままだったのに、さらに傷をえぐるような未来が待ち受けているだろうことを想像して、神様を恨んだ。無理して笑い合う彼らを見たくなかったし、紫耀くんと彼らがもうちがうコミュニティに属しているのをまざまざと感じてしまうのがとてつもなく嫌だった。

 

それなのに、紫耀くんはまたしてもそんなわたしの予想を見事に裏切った。

すべてが、なにも変わっていなかったのだ。

距離が離れた分、その縮め方を模索していた仲間たちが「座長!」とわざとらしく声をかけると、「その呼び方はやめて」と眉を下げて笑った。気心の知れた仲間と一緒にステージを作っていたあの頃のあの瞬間、叶うはずもなかった夢が叶った、ような気がした。衣装もダンスもセリフ量も、圧倒的にちがうしその責任の重さも計り知れないほどだったはずなのに、仲間といれる時間を楽しんでいるみたいで。

 

「Johnnys' Future World」は紫耀くんを応援していた自分にとって大きな転換点だったとも言える。あの頃となにも変わらない笑顔の紫耀くんが見れたことは過去への未練をすぱっと断ち切ってくれたし、紫耀くんとPrinceの関係性がすごく素敵だと感じるようになった。そして、弟たちと離れていた期間を過ごしたのち、紫耀くんが初めてMr.KINGのことを「ホーム」だと感じたと言ったから、わたしはそっと心の中で秘密の誓いを立てた。

 

まあ、そのあともいろんな葛藤があった訳だけれども、なんだかんだあってから5年経った今、King & Princeをちゃんとわたしは愛せている、という自信がある。

5周年おめでとう!あの頃はさ〜…って楽しくて優しい言葉ばかりで祝えない自分がとんでもなくみっともなくて惨めな人間だと情けなく思うけれども、わたしはこうやって紫耀くんを愛してきた。幾度も誓いを立てて、脆くも崩れ去ってしまった非情な現実を恨んだことはたくさんある。目の前の景色を認められなかったことだってたくさんある。でもこうしてわたしは、いまちゃんと「あなたたちを愛しています」と目の前で言える自信がある。そうさせてくれたのは紛れもなく紫耀くんのお陰だし、わたしはそういう紫耀くんの「変わらなさ」に何度も何度も救われた。

 

こんなふうに自分から語り出さなければ、わたしは「Jr.時代から彼を応援し続けていた人」として感謝されたりもしていたはずだし、そう思ってもらっていた方が得をすることもたぶんたくさんあったと思う。でも、整理したかったから、これでいい。まだまだあの頃から溜まっていた膿みはたくさん残っているけれど、少しずつ消化していけばいい。

 

「好きな人だけをまっすぐ愛せたら」と悩む人はきっとわたしの他にもいるかもしれないけれど、わたしみたいに自分勝手に「好き」を語っている人もいるから安心してほしい。「好き」じゃなくなることは罪じゃないし、償うべきものでもない。大丈夫。

わたしは過去の自分を幼かったなあと恥じることはあるけれど、罪だと思ったことは一度もない。だってそれぞれの時代をちゃんと愛してきた自信があるから。知ろうと、好きになろうとちゃんと努力して、それでも気持ちが晴れないのならば、離れるしかない。未練ってとても厄介で、それが愛を取り戻す糸口になることもあれば、それを利用していくらでも人を傷つける武器にできる。かつては愛だったものだから、余計にタチが悪い。そういう人は死んでも死んでも生き返るし、また別のところに生まれるからキリがない、ずっと付き合っていくしかないけれど、健康な気持ちでいたいなら気にしなくていい、と思う。

 

5周年おめでとう、とは言えない。もう5年経ったんだね、としか言えないけれど、彼らに出会ってわたしはいろんなことを学んだ。最初は大嫌いだったのに、5年もの月日が経ったら愛しているとさえ言えるのだから、時間というものはすごい。それだけ彼らと濃密な時間を過ごせたのだ、ということにしておこう。

 

わたしはうまく割り切ることができなくて、すべてに情を写し込んでしまうからこそしんどい思いをたくさんしてきてしまったけど、これから先彼らがずっと一緒にいれるという保証がある限り、わたしは彼らを愛し続けると思う。

 

「好き」や「愛している」は免罪符ではない。だけど、暗くどうしようもない闇に落ちてしまいそうになったとき、その呪文を唱えると気持ちはとても晴れやかになる。ただ好きなだけ。たったそれだけで、それ以外に余計な感情はなにも要らなくて、心の中に飼った悪魔は追い出せるはずだ。

 

前のわたしを知っている人ならわかるかもしれないけれど、わたしは3人が共にいる以外の未来を、考えることすらしていなかった。だからこそ戸惑ったし、たくさん苦しんだ。ずっと綺麗な気持ちで6人を見てきたわけじゃないけれど、結成して5年、デビューして3年、月日と彼らがわたしを変えてくれた。

 

でも、変わらずに昔の彼らをそっと愛し続けるのも、ちゃんとしたひとつの愛の形であると胸を張っていいと思う。

一部の人たちは、過去を引き合いに出して今の彼らを否定するけれど、過去をずっとそっと愛していたい人だっている。そういう人たちが攻撃的な人たちと同人種だと思われてしまうのは心苦しい。変わらずに好きでい続けることってすごいことだから。わたしみたいに180°変わる必要はなくても、そういう人たちが居心地よくいれる場所があればいいのになあと、ちっぽけながらも切に願っている。