鍵のない監獄

 

わたしはよく、呪文を唱える。

 

"ビビディ・バビディ・ブー"みたいに、何か願いを叶えたいときに唱えるのではなく、ふとした時に気づいていたら心の中で唱えている、とびきりの魔法の呪文。

なにも考えずにいつも唱えているので自分でもよくびっくりするのだけれど、何かつらいことがあったり考えに詰まったりしてしまうとき、わたしは無意識に

平野紫耀さん、すき」

という言葉を、心の中でこっそり唱えるのだ。

 

ただの告白のようなその言葉は、時にわたしを落ち着かせ、時にわたしを奮い立たせる。真っ暗闇の中で迷い込んでいても、目指す場所を見失うことがないように、街灯のように仄かにそれを指し示してくれる。

 

わたしは平野紫耀さんのことが好き。

「愛してる」とは、烏滸がましくて言えないけれど、それすらも陳腐に聞こえてしまうほど紫耀くんへの「すき」という気持ちはいろんな形をしてわたしの心の中に存在している。

 

そうしてわたしは日々、毎日をどうにかこうにか生きながら「平野紫耀さん、すき」を唱えてきたけれど、この1年はどうにもその呪文がうまく唱えられなかった。向き合うべきことが多すぎたせいもあるし、その言葉だけでは乗り切れない壁が多すぎたから、かもしれない。

わたしが紫耀くんを嫌いになることは、この一生のうちできっと一度もないと思う。もしわたしが紫耀くんのファンを辞める時が来るとしたら、それは紫耀くんのせいではなく、自分のエゴや、「紫耀くんを好きな自分」のことがうまくコントロールできなくなった時、その自分を愛せなくなった時だと思う。

いつだったか、こんなことを言っていたけれど、思ったよりもそれは早く訪れた。

 

魔法はいつかとけてしまう。

ものごとはいつか終わりを迎える、なんてことは百も承知だけれどそれがいつ、どんなきっかけで訪れるかは魔法使いも神さまも、誰も教えてくれやしなかった。

 

率直に言うと、わたしは紫耀くんから逃げた。

理由はいくつかある。「紫耀くんを好きな自分」をすきでいられなくなってしまったから。紫耀くん以外のまわりの世界が、どうにも煌めいてみえてしまったから。求めすぎてはいけないと分かっていても、あれもこれも紫耀くんに求めてしまう自分が嫌で、醜くて仕方なかったから。紫耀くんにはないものを持っていて、わたしが求めるものを満たしてくれるものを見つけてしまったから。

 

紫耀くんのことがすきと、何年も言い続けておいて、いざという時に結局大切なのは、守ろうとしてしまうのは自分だけだなんて、本当にちっぽけな人間だと、ほとほと呆れてしまう。自分の一生を彼に捧げるほどの覚悟もない者が、こんなままで愛を語っていいものかと、悩んだりもした。

 

でも、この数年間紫耀くんしか見てこなかった、見ようともしていなかった人間が見つけた新しい世界は、いろんな考え方やものごとの見方を教えてくれた。

これまで考えもしなかった形で、美しさや尊さを享受する時間は、どんどんわたしを熱中させていったし、もともと浮気性で熱しやすく冷めやすい本来の性格を呼び戻していった。

でも、ある程度の深さまでそれらを知り尽くしてしまったとき、わたしはまた気づいてしまった。どんなにそれはそれとしてきちんと愛していたとしても、わたしはいつだって「紫耀くんだったら」と頭の片隅でありもしない想像をして、紫耀くんのことを考えてしまっていた。

 

何年も紫耀くんしか見えていなかったから、すべての主語や目的語が紫耀くんになるように癖づいてしまっていたからかもしれないけれど、結局のところ、わたしは平野紫耀さん以外のアイドルを愛すことはできないんじゃないかと、思う日が徐々に増えていった。

 

わたしは「アイドル」としての平野紫耀がすきだ。この先こんな出会いは一生ないだろうと思えるほどの、感じたことのない愛をもって、紫耀くんの背中を追いかけてしまっている。

そして、わたしは勝手に応援して勝手に傷ついて、勝手に離れていくだけで。世界のどこかのうちの1人がいなくなったところで、紫耀くんの周りの世界は何ひとつ変わらない。

 

好きでいろ、と言われているわけでもない。一生愛して、そばにいるという誓いを立てたわけでもない。ただ自分が「すき」でいるだけなのに、なぜだか紫耀くんに対してだけは、そうでなきゃいけない義務感みたいなものを感じてしまうのだ。紫耀くんが命を削って生きているのに、なにも慮ろうともせずに、当たり障りのない表面上をかするだけで、その一部から幸せを受け取るのはおかしいと感じてしまう。

 

アイドルとしての紫耀くんを好きになってしまった以上、応援し続けることは、背中を追いかけ続けるということは、紫耀くんが表舞台に立ち続けて、どこまでも上を目指して進んでいく姿を見守り続けるということだ。

「アイドル」という狂った世界の特殊なサービス業に就いて生計を立てている紫耀くんが、同じ時代に生きているひとりの人間が、魂を削っていく様を。ひとりの人生が猛烈な勢いで消費されながら、その代償として眩いほどの美しい光を放ち、あらゆる人間たちの物足りない日常を埋めていく様を、眺めていることしかできない。

人間としてのその姿を見つめながら、わたし自身その光を受けて幸せをもらっているというのだからタチが悪い。ねえ神様、この世はどうしてこんなに皮肉なのでしょうね。

 

平野紫耀さん、すき」の呪文もそうだけど、紫耀さんが生きているだけでこの星のどこかの人たちに与える影響は絶大だ。

 

わたしは、揺らぐことなく自分の意思で、平野紫耀さんのことを好きでいる。

誰かに愛されるよりも、自分のために生きるよりも、そのすべてがどうしてだか紫耀くんに繋がってしまうから、しょうがない。

 

それはまるで鍵のない監獄のようだ。

鍵はかかっていないのに、見えない有刺鉄線が張られているわけでもないのに、その監獄からは誰も出て行こうとしない。

わたしはあらゆる罪を抱えて、この先も紫耀くんの元にいる。決してその罪を知られることもなければ、赦されることもないまま、永遠に自分自身とこの罪に向き合って生きていく。

いつか本当に1日の中で紫耀くんのことを考えることがなくなる日が来たとしても、わたしはこれまで幸せにしてもらった思い出を忘れることはない。そしてふいに紫耀くんを見かけて思いを馳せたとき、その度にあなただけを一生愛しつらぬくことができなかった罪を思い出すことだろうと思う。

 

ただ思いつくままに言葉を綴っただけなので、本当に何の脈絡もなく、何か伝えたいメッセージがあったわけではない。

強いて言うならば、これは紫耀くんを褒め称えるためのものでもなければ、虐げるためのものではない、ということ。

これは、平野紫耀に囚われて、愛情という名の呪いのような、暗示のような呪文をかけられ、鍵のない監獄から抜け出すことのできなくなった、憐れな人間の独り言である。

 

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