紡がれた言葉を宝箱にしまって

 

わたしは、紫耀くんの「言葉」が好きだ。

 

 

「言葉」というのはもちろん、ネットニュースのタイトルになったり、番宣CMで使われるような紫耀くんの「天然発言」も含まれるんだけど、わたしはその中でも雑誌のインタビューや対談なんかで紫耀くんがぽろっとこぼす「本音っぽい言葉」とか、そこから垣間見える「感性」がとても好きだ。

 

紫耀くんの言葉選びというのはとてもおもしろくて(funnyというよりinterestingの意)、頭の中の引き出しの中に語彙たちがざっくりと区分けはされているんだけど、整理の仕方やそれらをピックアップするセンス、そしてその繋ぎ合わせ方がとても独特だ。しかもそれはとても脈絡がなく適当なように見えて、よくよく考えてみたらちゃんと筋が通っていたりする。「その表現、ちょっと変だけど…でもなんか分かる気がする」っていう、その感じ。そしてそのうち、紫耀くんなりの思考の道筋がぼんやり見えてくるようになる。あらゆるところに散りばめられたそのピースを拾い集めて、「平野紫耀」という人間が自分の中で少しずつ象られていくその時間が、とてつもなくすきだったりする。

まあそれはあくまでも、想像の範囲なんだけど。

 

CDデビューが決まって、出演作品の番宣でバラエティ番組に出させていただいたときの紫耀くんの発言は、世間をいい意味でざわつかせた。忘れかけていたけど、紫耀くんは異次元すぎる思考回路の持ち主だったのだ。

わたしはもうすっかり紫耀くんの言葉選びの虜なので、あっここがこうなってこう繋がったんだな〜とかなんとなくは理解できるようになった気がするけど、初めて紫耀くんの言葉選びの世界に触れる人からしたら「なんじゃこいつ!?」ってなるよね。そうだった。わたしも紫耀くんに出会った頃はそう思ってた。

 

わたしが紫耀くんを好きになったきっかけ。

思い返せば、明確に気になりはじめたのは、2013年12月22日放送のまいど!ジャ〜ニィ〜での紫耀くんのこの発言だったかもしれない。

 

「入場無料の場所があるじゃないですか、展覧会とか。人をタダで入れてあげて、努力して…タダで入れてあげるんですよ!?中に!」

西畑「ありがたいなあ」

「そう!そう!なんて言うんでしょう…その…」

金内「器のでかさというかね」

「そう!思いやりというか、そういうのに惚れましたね」

 

ゲストだった野々すみ花さんも、紫耀くんのこのぶっ飛んだ理論にだいぶ驚かれていたのを覚えている。紫耀くんは自分で「しょうもないこと」という前置きをしてから、この話をしていたけれど。

当時の紫耀くんは今ほど語彙がなかったような気がするので、周りのみんなにフォローされながら、そうそうそうそう!と連呼して、みんなにツッコまれながら、ふにゃんと微笑んでいた、そんなイメージ。

拙い言葉選びではあったけど、その心意気は十分伝わってきて。わたしは、紫耀くんのこの言葉にめちゃめちゃ心を動かされてしまった。意味わからないけれど、めちゃくちゃわかるのだ。なんだこの感覚。なんの味かわからないけれど、今まで食べてきた中で一番美味しいものを口にした時みたいな、そんな感動を覚えた。

 

たしかに、作品を置いてるだけだからとか、無名の芸術家だからとか。現実的に考えてみれば、それらしい理由を見つけることはいくらでも可能だ。

でも、入場無料とはいえそこで働いてる人は絶対にいるはずで。その人の生活やそこにかけた時間もあるはずなのに。作品の魅力を世の中に伝えるために、無償で開放してるなんてすごい、という思考に至って。そこに感動を覚える紫耀くんはとても素敵だと思った。なんてロマンチストで、性根の温かい人なんだと。

 

ところで、紫耀くんはこのとき弱冠17歳。

エンターテイメントの世界に生きる人間として、あまりにも出来すぎていやしないだろうか。

 

身近に自分のために働いているスタッフさんを見たり、自分も表現者の側に立っている存在であるからこその視点なのかもしれない。それでも、そこから覗く紫耀くんの人間としての余裕とか、置かれている環境が当たり前ではないことを自覚して感謝を忘れないところとか。

直感的に、この人は只者ではないと思った。それまではちょっと変わった子だなとしか思ってなかったけど、この言葉をきっかけに紫耀くんへの見方は180度変わったと言っても過言ではない。

 

 

メンバーをひとことで表すと?

アイドル誌やなんかに、よくありそうで意外とないこの質問。わたしは、この「ひとことで」という制限がつくと、紫耀くんの感性の扉が全開になるのを知っている。なんというか、ものすごく世界観が独特なのだ。説明するより読んでもらった方が早いと思うので、その一部をこれから少しだけ引用してみたいと思う。

 

岩橋玄樹

玄樹はブランコ。誰かが押さなくても、風にゆらゆら揺れながら自由に過ごしてる感じがいいよね。無理して喋らなくても気まずくならない関係だから一緒にいてすごく楽。これからもそのままの玄樹でいて!

神宮寺勇太

夜中に真っ暗な道を走ってるときに自動販売機を見つけるとめちゃくちゃホッとするでしょ。それと同じで、ジンは一緒にいるだけですごく安心できる存在。いつもオレにぬくもりを与えてくれる人なんです。

[岸優太]

岸くんは針金。面白かったりかっこよかったりと、どんな形にでも自由に曲がることができるマルチな才能の持ち主。若干先の方がボケすぎてサビてきてる気もするけど(笑)そんな万能な岸くんが魅力的!(POTATO 2016年8月号)

 

おわかりいただけただろうか。

紫耀くんのこの独特な世界観。ひとことで、だったら「明るい人」とか「落ち着きがある」とか。形容詞でいくらでも表現できるのに、身近なものに例えて言葉を選んでくれる。

紫耀くんにしかわからない、紫耀くんからみた世界。

 

でも、たしかに抽象的にぐだっと説明されるよりも、紫耀くんみたいに「僕は彼のことをこういう存在だと思ってるんだよね〜」って具体例を用いて伝えてくれた方が、感覚として伝わりやすい気はする。伝わりやすい…ですよね?ね?

 

ちなみに個人的には、神宮寺くんの説明が一番好み。紫耀くんにとっての自販機の定義がなかなか個性的でわりと衝撃だった。車が大好きだった頃だから夜道を走ってるときの設定なんでしょうね。

 

続いて、紫耀くんが愛してやまない、この方。

 

[髙橋海人]

根元があれば、必ず毛先がある。俺がいれば、海人がいる。髪を染めれば、毛先が痛む。海人をいじめれば、心が痛む。(TVガイド 2018年12月7日号)

 

まさか、毛先に例えるなんてことあります?

人やものを毛先に例える人なんて、初めてみた。髪のこと気にしてた時期だったのかな。未だに紫耀くんのさらっさらの猫っ毛をみると、紫耀くんのこの名言を思い出します。かいちゃん大事にされてるね。

 

あと、これはものすごくポエミーなので好き。俺と海人が一本の髪の毛になっているところも、根元が紫耀くんで毛先がかいちゃんなところも。海人をいじめるのがテンプレートになってるところも、全部が紫耀と海人の関係を示しているみたいで、最高です。

もう一度言います。最高です。

 

[永瀬廉]

廉はキョトンとしたチワワ。廉のかわいいところは、俺だけじゃないんだけど、人と喋ってて本心をつかれたら、目に見えて焦るところ(笑)よくその姿を見るし、わかりやすい。かわいいっていうかおもしろい。(TV fan CROSS vol.29)

 

さて、みなさま。紫耀くんのさりげないマウンティングにお気づきだろうか。

俺は廉のこんなかわいいところ知ってんねんで?みんな知らんやろ?こんな廉、とでも言いたそうな言いまわし(当方だいぶフィルターがかかっています)チワワ、じゃなくて「キョトンとした」チワワ、なところが肝ですね。

わかりやすいところがかわいいって言えよー!おもしろいとかわざわざ言い直さなくていいよー!お前ら最高かよー!ずっとそのままでいてくれー!

 

取り乱しました。

ちなみに廉くんは紫耀くんのことを「ポメラニアン」だと思ってるらしいです(同誌より)ふたりとも小型犬なの可愛すぎて、尊すぎて死ぬ。

 

紫耀くんと5人の関係、それぞれに特筆すべきことがありすぎてまとまらなくなってしまいそうなので、もし言いたくて仕方なくなった時はまたまとめます。いつかね、いつかやります。たぶん。

 

 

紫耀くんにとって「愛」とは

突然、壮大なテーマですが。

でもまずこのテキストを読んでください。必修なので必ず読んでください。

 

なんだろうなぁ?……画用紙……かなぁ?真っ白の。だって、たぶん、最初から愛を与えられる人なんて誰もいないじゃないですか。愛は、誰かからもらってこそ、誰かに与えることができるようになると思うんです。愛を与えられたというベースがあってこそ、というか。だから、真っ白い画用紙に、おたがいの愛という名の絵を描きあげていくイメージというか。で、時にはその人の色に染めてもらって……。そうやって、その人との関係が成り立っていくのだと思うんです。(ポポロ 2019年6月号)

 

初めてこの文章を目にした時「紫耀くんは哲学だ」と本気で、心の底から思った。前世はギリシャ時代の有名な哲学者ですか?

それくらい、紫耀くんは世の中の真理を、ものごとの核をズドンと捉えていることがある。その審美眼ですべてを暴いてしまうような、鋭さと恐ろしさ。

 

「愛は与えられるのではなく、与えるものだ」ということを、彼はもう知っている。

その事実が、紫耀くんがアイドルである意義を示してくれるし、彼がこれまでの激動の人生の中で学んだことを表現してくれている。幼い頃から清濁併せ呑んで育ってきた紫耀くんだからこそ、伝えられる説得力がある。

 

釣りをした時にふと考えたこと。

釣り糸って丈夫ではあるんだけど、大物相手だと切れちゃうこともある。つまり、愛が大きければ大きすぎるほど、自分が手にした瞬間に重さに気づいて、耐えられずにブチっと切れちゃうかもしれない。自分の糸も、相手の糸も、切れないように思いやりたいよね。

 

紫耀くんが、普段の生活の中で「あ、これってもしかしてこういうことかな。これとこれは似てるところがある」って思いながら生きているって。わあ、平野紫耀は生きているし、同じ世界線に生きる人間なんだって、改めて感じることができるから、わたしはこのテキストをとても気に入っている。

愛は釣り糸。

なんかの雑誌のコラムだったら、絶対に太文字ゴシック体で書かれてるやつ。

 

 

紫耀くんのみている世界は、いつも広い。
とても視野が広いうえに、国境や人類を飛び越えてものごとを繋げて考えることができる柔軟性を持っているから、ときにその表現は突飛なところから浮かんでくる。
でも、その意図を咀嚼すれば「なんかちょっとわかる」という共感が生まれる。アウトプットの回路が常人ではないだけで、ものごとを感じ取る感覚が人より繊細なだけで。紫耀くんは、いたって普通の成人男性だ。


そういう意味で、紫耀くんはとても哲学的な面も持ち合わせている。紫耀くんから発せられる言葉は、とても多角的なのだ。読み方によって、如何様にも捉えられる。すべてありのままに伝えようとはするけど、その思想を決して押しつけたりはしない。常に、そこに余白や余韻を持たせて、より深く考えさせてくれる。


でも、だからこそ誤解されやすいとも言える。その行間を悪意の下で勝手に解釈し、それを批判に用いられるのを見かけると、わたしは腹の底からふつふつと煮えたぎるような憤りを感じてしまう。嘘つきだとか驕ってるだとか、ナイフでバラバラに切り刻んで都合のいいように並べ替えて、その時系列もちぐはぐなものを繋いだ鋭利な武器で、紫耀くんを傷つけようとする人たち。そういう層が一定数存在することは悲しいけど、紫耀くんはそのこともきちんと把握しているだろうと思う。 

知っているからこそ、わざわざ言及しないこともあるし、言わなきゃいけないと思ったらちゃんと口にして、言葉で伝えてくれる。

もっとも、最近は、そんなことも紫耀くん本人の口から言わなきゃいけないのか…と虚しい気持ちになることもあるけど。でも、まだこうやってひとつひとつ指摘してくれるだけ紫耀くんは優しいとも思う。優しすぎるくらいに、やさしい。だって、呆れて、求められなくなってしまったら、それこそ本当の終わりだから。

紫耀くんはまだ、わたしたちを信じようとしてしてくれている。魂を削りながら、息の詰まるような忙しい毎日を過ごしながら。そしてものすごくラフに、その愛を伝えてくれる。

そんなわたしが紫耀くんに出来ることは、紫耀くんの口から直接聞いた言葉と、公式に発せられている言葉を信じる、ということだけだと思う。それすらも、時には編集者の意図を伝えやすいように変えられてしまっている場合もあるから、適度に。深く考えすぎないことが必要ではあるけれど。


話が少しずれてしまったけど、結局のところ、デビューする前もした後も、紫耀くんの人生にはさまざまな人が関わっていることに変わりはない。その人たちの存在なしには今の紫耀くんは形成されていないし、だからこそ、紫耀くんは身の回りの人に対して感謝を忘れない。

それに、大切にしているからこそ、語りたくないことだってたくさんあるだろう。自分の影響力を理解したうえで、言うべきことと言わなくていいことをすごくよく考えて、表現している。そしてそれは決して、嘘をついているわけではないことを、心に刻んでおく必要がある。


「行間を読む」ことは、誰にでもできる。
そしてその作業を通して垣間見れる、紫耀くんの素顔のようなものは、好きになればなるほど気になってしまうものだ。しかも、自分のいいように解釈してしまうことがあるのは好きであるが故の当然のことかもしれない。でもそれがまわりまわって紫耀くんを悲しませたり、傷つけるものになることは、おそらく紫耀くんの本意ではない。

いつだって紫耀くんは、象徴的な存在でいてくれる。でもそれはアイドル・俳優・歌手、いろんな顔を持つ紫耀くんにとって、求められたことに対してごく忠実に、できる限り嘘のないように対応してくれているだけだ。あくまで、ジャニーズ事務所のKing & Princeのいちメンバーとして。「アイドル・平野紫耀」として、あるべき姿を見せてくれているだけなのだ。


だからどうか、紫耀くんがもう二度と言葉に傷つけられることがありませんように。

紫耀くんの周りを取り囲む世界が、常に柔らかく、そして温もりをもったものでありますように。

 

それだけを祈って、今日もわたしは、わたしなりに。紫耀くんが与えてくれる「行間」を読む。大切に、やさしく、紫耀くんの中で紡がれた言葉を、宝箱にしまって。